グエムルの 姿恐ろし 攻防戦

昨日は早くに寝たおかげで実に快適な目覚めでした。随分寝たなぁと思って時計を見てもまだ7時過ぎだったので、深くて長い睡眠となったようです。
今日は月曜日ということで映画館のメンズデー、ちょうど2日に「グエムル~漢江の怪物」の公開が始まったところなので今日観に行かなくてどうする!というまさにうってつけな日。とその前に犬を洗って、上映時間までまだ間があったので、先日届いたDVD、キューブリック監督の「博士の異常な愛情」を観ることにしました。
冒頭に「実際にはこんなことは起きません」とアメリカ国防省からの注意書きが流れるので、一体どういう内容かと思いきやこれはシャレになりません。米ソの冷戦時代の対立の下で核開発を競っていた時代、1人の狂ったアメリカ将校によってソ連への攻撃が始まり、全面核戦争が引き起こされそうになるわけですが、「ミスをするのはシステムではなく人間」との言葉どおり、まさに人災の賜物です。さすがに今はかつての冷戦時代のような状況ではありませんが、アメリカ対イスラム社会という別の対立軸が生じていますから、今後何が起きるのか分かったものではありません。結末の映像もイロイロ考えるところがありました。

さぁ、いよいよ本日の本命の映画館に。メンズデーといっても平日なのでそれほど映画館は混んでいるわけでもなく、「グエムル~」のお客さんの入りもまばらでした。この映画、端的に内容を紹介すると下水に垂れ流された劇物によって魚が突然変異することによって生まれた怪物が人間を襲うようになり、その怪物に娘を奪われた家族が取り戻すために戦う、というものですが・・・なかなか不思議な内容でした。
まず全般的にコメディ臭が漂うんですけど、シリアスでもあり悲惨でもあり家族愛もあったりで、笑っていいのか笑うと不謹慎なのか迷う場面がいくつもあって反応に困ってしまいます。この辺り先日見た「ショーン・オブ・ザ・デッド」に非常に近い雰囲気があります。例えば・・・

ちょっと抜けた主人公に「1発弾が残っている」と渡された銃を握り締めた父親が、単身怪獣の前に立って銃を撃とうとしたら不発で、指でひーふーみーと数えているうちに怪獣に跳ね飛ばされて挙句の果てには死んでしまう・・・さぁ、この場面は笑ってよいやら悪いのやら。悲しむ主人公の姿に「誰のせいじゃー!」とツッコミを入れずにはいられなかったりして。

それはさておくとして、展開が非常に早いです。たいていこういう怪物モノは怪物の姿の一部が見え隠れしてどんな怪物なんだろう?と恐怖心を煽るものですが、この映画はいきなり最初から登場して全身を見せ、娘をさらっていってしまいます。映画のほとんどがその娘をいかに探し出して助けるかという家族の姿を描いてます。そういうシリアスな状況なんですけど、画面からはどーしてもコメディな雰囲気がプンプンしてます。
それでもこの怪獣は怖いです。重量感のあり巨大な体で地響きを立てながら素早く走り回っては人間を跳ね飛ばし、そうかと思いきやしっぽで身軽に体を持ち上げて動き、細いすき間には舌を差し込んでくる、といった具合に追いかけられたらまるで逃げ場がありません。エサ(人間)を生きたまま捕獲して逃げられない場所に貯蔵?しておくという狡猾さまで持ち合わせてます。
コメディ色を漂わせながらもお話はスリリングに展開していきます。もちろん、

・怪物に対する国家の対策がまるでない
・未知の最近の宿主である怪物を捕まえることなくやるのは消毒作業のみ
・撒かれた薬は怪物のみに作用するのか、人間にも作用するのか、人間に作用しないならなぜ反対デモ活動が起きるのか、人間に作用するならなぜ薬の煙の中助かったのか

などなど疑問を感じるところがありますが(もっとも某アニメ映画に比べれば些細なもの)、総じて楽しむことができました。しかし、しかしですね、あのラストにだけはどーしても納得できません。ちょっと伏字にしますが、 無事に娘が助かってめでたしめでたしのハッピーエンドでいいじゃない、何も殺す必要ないじゃない、なら家族の奮闘はまるで無意味だったの?最後の食卓は3人で囲めばよかったんじゃないの?などなど後味の悪さがどうしても残ってしまい ます。この点において万人向けでないのかもしれません。

カンヌではどの点において評判だったのかが気になりまーす!