ダ・ヴィンチの 隠した謎が 語るもの

一度も目が覚めることなくグッスリ寝たなぁと思って時計を見ると、12時間丸々眠っていたらしい。さすがにこれだけ寝れば寝不足を解消するには十二分。

そんなわけで夕方まで買い物やら植木の刈り込みやらを済ませたところで、今日はメンズデーで終日全映画1000円というありがたい日なので、「ダヴィンチ・コード」を早速観に行く。平日だけに封切り3日目だけれど、館内はガラガラ。人がいない方がゆったりできるけれど、あまり人がいないとそれはそれで寂しいものがあったりする。

ウチの母親はプロテスタントのクリスチャンで、毎週礼拝にいっている教会で、この映画のことが話に上がったとのこと。やっぱり教会側の反発は強いのかしらん、と思いつつ聞いてみたら「映画を観て惑わされないように」との話だったらしい。惑わす惑わされないって、映画1つ観ただけで揺るぐような信仰心だったら意味がないでしょうに。それでも実際にわざわざ教会に「イエス・キリストに子孫がいるっていうのは本当ですか?」と電話をかけてくる人までいるそうな。まったくもってブームというのはタチが悪いものかもしれない。
ということで以後感想。もちろんネタバレになるところは例によって伏字。

観る前は協会側の反発のニュースを見て「何も映画のフィクションなんだからそんなに目くじら立てなくってもいいのに」と思っていたけれど、実際に観たらなるほど教会が怒るのはムリないかも。キリストの子孫云々の他にも聖書の内容は会議で決まっただとか、イエスはもともと「人」だったのが神格化されて「神」になったとか、教会の教義に反するものばかり(もちろん歴史的にはそれで正しいのだけれど)。いくらフィクションとはいえよく映画にしたなぁと思わずにはいられない。もちろん信者でもなんでもない人にとっては「ふーん」と思う位のもの。

内容としては原作を読んでいなくても楽しめる内容ではあるけれど、色んな単語やキリスト教に関する内容が出てくるので、しっかり筋を追いかけていかないと分かりにくくなるところがちらほら。感想を端的に述べると「あぁ、面白い映画だったなぁ」と嘆息をもらせるものではなく、「うーん」と首をかしげて唸りこんでしまった方だった。 風呂敷はばっと広がるんだけれども、その後の展開がどうにもスッキリせず、終わり方も消化不良感が残るような感じで、「結局何だったんだろう?」 との思いしか残らない。
いや、それ以前に 映画のタイトルに最大の難 があって、

「全然レオナルド・ダ・ヴィンチと関係ないじゃん!」

てっきり ダ・ヴィンチの絵や書物の中に数々の暗号が巧妙に散りばめられていて、そのもっともな謎解きがあるものだと思っていたらまるでなく、ダ・ヴィンチの名前を出す必要性も必然性もまるでない。 全然面白くないかというと、サスペンス感はあるし人間関係もイロイロあって面白くはあるのだけれど・・・。
でも 「結局は何を信じるか」 というセリフには納得。この一言はまさに宗教の本質を突いている。

んー、原作を読めばもう少し内容に対する理解が深まるかもしれないし、「ハウルの動く城」のように謎が深まる危険性も?!

それはさておき「レオナルド」という言葉を聞いて、後に「ダ・ヴィンチ」をつなげる人が世の中ほとんどだろうけど、「コント・レオナルド」とか「レオナルド熊」を思い浮かべる人が・・・いてくれるといいなぁ。