キャラクターは 真実か役者か?

咽喉はまだ本調子でなくても、微妙な寒気がなくなっただけでも精神的に随分と違う。でもそうした寒さがなくなったかと思ったら、今度は天候が寒くなってしまった。

本日の反省。仕事で車を運転していると、交差点で左折した方向の道路が大渋滞、一部交差点にまで張り出していた。助手席の相方と「踏み切りで先が詰まってるんじゃない?」と進行方向にほんのわずかに目をやり、視線を前に戻すと・・・1メートル前で車がなぜか停車。もう久し振りに思いっきりブレーキを踏んだ。幸い事無きを得たけれども、ほんの一瞬の不注意が事故を招きかねない。要注意、要注意。

田森先生のピエトロ日記に「タイタンの音」が紹介されているのを見て早速聴いてみる・・・その瞬間全身の毛が総立ち!す、凄すぎる!何が凄いって、これタイタンに吹いている風の音だよ?!空気の風じゃなくてもっと別なガスが風として吹いている音だよ?!決してその場所に足を踏み入れることは出来ないけれど、音を聴けばあたかもその場所にいるかのような気になってしまう。目をつぶって、タイタンの地表の写真を頭に思い浮かべながらこの音を聴くともうただただひたすらにたまらない!贅沢な瞬間なんてものじゃない。しかも映画ではないリアルな世界!しかしこの素晴らしきロマンはなかなか人に語っても「ふーん」という反応しか返ってこないのが寂しい。

本日アニメのブラックジャックを観て大いに反発を感じる。「やっちゃいけない、それを制作者がやっちゃいけない」・・・それは次週予告の後のNG場面と称するもの。「NG」と聞いてすぐにイヤな予感が胸をよぎったら本当にその通りとなってしまった。
アニメやマンガというものは、その世界の中で本当に起きている話なのだろうか、それともキャラクターがあくまで「役者」としてその世界の中で物語と言う名の台本に書かれた役を演じているに過ぎないのだろうか?
自分は前者であると思う、いや前者でなくてはいけないと思う。キャラクターが単なる役者として役を演じているだけの存在に過ぎないというならそれはあまりにも哀しい。
今回のNG場面というのはまさにそのアニメが後者であることを公言しているようなものだ。だから制作者がそれをやっちゃいけない、強くそう思う。

ポポロのファーストTVアニメの映像特典でもわずかにこのことに抵触してしまうところが実はあったりもするんだけど・・・。